存在がファンサ

世界で一番幸せになってね

幸せになってね!

私の話から始めます。

新卒2年目、5月で今の会社を辞める決心をしました。
1番大きな理由は生活リズムが狂って軽くうつ病みたいになったことですが、働いてる人はみんないい人でした。
私が辞めると報告したら悲しんでくれて、言い方があってるかはわからないけど嬉しかったです。

学生時代のアルバイトは卒業まで働いたから悲しみも何も無く、「まあ卒業っすもんね」みたいな感じだったから
辞める時に悲しんでくれる人がいるありがたみを、この歳になって実感しました。





時を同じくして五月末、私が応援している関西Jrの辻本良くんも大きな決心をして退所してしまったらしい。





本人の目に届くとも思ってないけど、彼にもやめて悲しむ人がいるんだよってことと、今までの感謝の念を込めて、痙攣が止まらない目を抑えながら、キーボードを叩いています。


明日は我が身のジュニア担の人生の中、実は初経験である退所によるお別れブログです。緊張







まず言いたいのは、私は新規です。
辻本君を応援し始めたのは18年の春松竹からでした。


元々14年組入所のまいジャニを見ていたので存在は知ってた。
あ、パティシエの子ね、その頃はWESTにしか興味がなかったので「おじいちゃんが重岡くんの母校の校長先生」の子だなと思ってた。

そこから数年たって、お兄ちゃんたちをどんどん抜かして成長した辻本くんを見て、「かっこよくなって~!」と親戚のおばさん心が芽生えてた。

その年の春、当時応援していた子たちが松竹に呼ばれず、ツアーバックについたりしていた頃、じゃあ誰見ようかな~と思って入った松竹座で、辻本君のセクゾのKQJの最後の決めポーズで「あ、無理好き」と思って連番したフォロワーの肩を叩きまくっていた。(ごめん)
気づいたら春のメシア,と呼んでいたし、夏松竹の少年たちのショータイムを見た後には「辻本君なんで15歳なの?!結婚できないじゃん!!!」と叫んでいた。(叫ぶな)

そこからというもの、舞台ばえするスタイルと、繊細な指先まで行き届いた手と、耽美だけど笑うと幼くなる顔と、とずっと双眼鏡で辻本くんを追っていました。


あまり雑誌にはのれなかったけど、のれたときは「同期で仲のいいみっちーと歌をまた歌いたい」「ダンスの先生に褒められたからダンスを頑張りたい」と応援したくなるようなことが沢山書いてあった。(つじみちデュエット叶えたかったなぁ〜!カラオケで終わるような夢ではないんだよなぁ!)


まいジャニ大運動会で一人だけちゃんとした名札がなくて手書き即席の名札が用意されてたことに恐怖を感じたけど、ネタにできて「これからも応援お願いします!」って言ってた。


とくに「ツアーバックにつきたい!」と公言してくれたことにはびっくりした。

それまでの関西のツアバを「出兵」呼ばわりして、スケジュールも主体で組まれてメディア露出が多い「推されの」松竹座出演組と「推されてない」ツアバ組、のように(あくまで個人的な意見で)比較してモヤモヤしていた私にとって、その松竹座出演組の中からそういう意見が出ることに驚きを隠せなかった。

ツアーバックだってすごく貴重ですごくいいJrのお仕事なのに、と言っていた私は「同じジュニアの仕事」としてツアーバックに魅力を感じていた辻本くんを応援していたことを誇りにさえ思った。だって14年組の松竹座出演の生き残りって、トリオと辻本くんぐらいだったんだよ。
(まいジャニに14年組として出た中でなのでふがたくは外してます)

それを3月の末に初登場したかんじゅ日誌でも言ってくれていて、僭越ながら「未来」と「余裕」を感じてしまっていた。
4月という節目、高校生になるってことでちょっと怖かったけどこの文章を書いた子がやめるわけないな〜!
今年のWESTのツアーは辻本くんもつくだろうな、何公演行けるかな、ファンクラブ更新しなきゃな~!
この前即席で作った「良」うちわ、作り直さないとな〜!




とか




考えてた





今改めて当時の日誌を読んだけど「高校生になってやっとツアーに参加できるので本当に楽しみです!」って書いてあった。

なんで、なんで、と考えるうちに考えうる最悪の想像までしたところで、誰も救われないことに気づいてやめた。





正直我が身に回ってきた「明日」を迎えたことに対する感情は「実感わかないな」だった。

だって今の時期に、関西ジュニア全体で仕事があるのは限られているし、仕事がなければ姿も見られないから
突如消えたわけではなく、いなくなりそうな気配もなく、でも常にバックに選ばれて踊っているわけでもなかったから。

でもプロフィール欄や映っている動画は消えてしまっている。
その日は仕事だったので、理解ができない頭をなんとか仕事脳に振って、落ち着かない気持ちはとりあえずフォロワーに癒しの画像を送ってもらって抑えた。(みんなありがとう。犬とか猫とか自担の画像とか・・・かわいかったです・・・)
ただ仕事中も少し落ち着いた瞬間にいろいろ思いだしたり考えてしまった。

にしたくと仲良く笑ってわちゃわちゃ絡んでいるのを見て連番したにしたく担と愛で明かしたこともあったし

看守のつじもかっこいいよ!と教えてもらってワクワクしながら新幹線に乗って新大阪にいったこともあった。

あ!今回はショータイムにいる!って発見するのが嬉しかった。
Game of loveのOverture選抜は本当にかっこよかった。あれ映像にならないのかなぁ。

お誕生日にはアイランドTVが更新されて、本当に嬉しかったし初めてアイドルの誕生日を祝うケーキで
メッセージをチョコペンで書いてもらった。あのマスカットケーキは美味しかった。




このブログを書く上で自分のツイッターで辻本君関連のつぶやきをふりかえりました。
いつのつぶやきも楽しそうでした。
脚が長すぎて3mあるって言った翌日に8mあるって言ってた。1日で5m伸びる彼の脚

辻本君今年の松竹もでるかなってウキウキもしていた。
クソアシメ前髪かわいいね〜!ってテンションが上がったり菅田将暉さんににてる〜!とテンションが上がったりもしてた。
あなたのおかげで私の春松竹はすごく素敵な思い出になったよ、というめちゃくちゃ重いファンレを書いたことに懺悔したりもしてた。

関西Jrが関東で単独や東西合同コンに参加して進出していく中で、東京生まれ東京育ち、最近は東京jrにもハマったいわゆるクソDDの私がまだ大阪に遠征する理由が、確実に辻本君でした。

どうしようかな、関西に固執する理由がまた一つ無くなってしまったな、と悲しくもなりました。


今年も松竹に立つ辻本君みたかったな

念願のツアバについてニコニコしながらWESTと絡んで欲しかったな

真鳥くんのダンス選抜に入ってダンス踊って欲しかったな

アイランドストアで公式写真、出ると思ったんだけどな。結局公式写真出なかったな

映画少年たちの雑踏happyで見つけられなかったな

せめてずっと立ってきた松竹座で涙で卒業式して欲しかったかもな

五連勤してズタボロの体で読んだ日誌嬉しかったな。次の更新も見たかったな

みっちー誕生日を日誌でも祝ってくれて嬉しかったな。にしたくとみっちーの恋人候補枠だった辻本君、最高だったな

毎年恒例のin大阪の辻本君の手作りスイーツ差し入れ、無くなっちゃうんだな

辻本君をみると私を思い出すよってフォロワーさんから言ってもらったこともちょっと嬉しかったな

岡くんとか陸君とか楽君と写真に写ってると嬉しかった。岡陸楽翔、良!と言っちゃった日もあったな

全部、全部楽しかったな




あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜私思った以上に辻本君すきだったんだなぁ!


もちろん1日たった今も悲しいしなんで、とも思うし、送り出したくないし実感はわかないけど
16歳の高校一年生という時期に、一つの人生の大きな分岐点を作る決心をした彼を尊敬します。
私も仕事を辞めると決めた時まあまあ覚悟したから。その年齢でその決断ができるのはすごい。

応援していた子が急にやめちゃった時、応援していた子たちが素直に頑張ってね!と応援できるの、愛だなと思うと同時に
アイドルではなくなってしまうのになんで送り出せるのかな、と不思議だった。
初めて当事者になって感じたのは「もうこれしか彼に向けられるメッセージがないのかもしれないな」でした。


私たちが見せてもらえるのはほんの一部だから決心をした理由を全部知ることはできないし
なんでって問い詰めたところで何もできることはない。
だから私はいままで応援してきて楽しかったことを感謝として伝えます。

君のこれからの人生も「良」い人生になりますように。







このブログのタイトル、すごく迷ったけど、先日読んだ漫画*1の好きなシーンから抜粋させていただきます





楽しかった日々を悲しい思い出にせずいつまでも輝かせる最高の呪文